想い出の
アルバム
小さい頃…
私が唄うとみんなが笑ってくれました。
新年会、忘年会、結婚式…
田舎街の宴会が盛り上がり始めると私の出番。
私が唄う故郷の民謡にあわせて、親戚の叔父さん、叔母さん、近所のおじちゃん、おばちゃん、おじいちゃんも、おばあちゃんも、笑顔で手拍子してくれました。
思えば、あの頃のみんなの笑顔が私の原点。
一人でも多くの人が私の歌で笑顔になってくれたら…。
そんな夢を追い続けてきた私が、これまで歩んできた民謡活動の思い出のアルバムです。
9歳のとき

おばあちゃんに連れられて民謡教室に行き始めました。近所の民謡教室(愛媛県民謡同好会所属・高橋宝香師匠)に週に1度通っていました。
とにかく唄うことが大好きで、年中唄っている子供だったと母は言っています。民謡は、思いっきりお腹から声を出すので、教室の帰りはとにかくお腹が空いたことを思い出します(笑)。
左の写真は親戚の結婚式で唄った時のスナップ。
実家はお客さんが多くて、親戚や近所の人がよく集まって宴会してました。そんな時、お客さんから「由里ちゃんなんか唄えや!」というリクエストをいただくと、もう嬉しくって。森昌子さんの曲や故郷の民謡を唄っていました。歌手になるという夢が芽生えた頃です。

中学生のとき

中一のとき三味線のお稽古に通っていた藤本会の新年会で妹と一緒に唄ったスナップです。
「秋田大黒舞」を唄いました。
だんだん、民謡は私にとって、切り離せないものになっていきました。


「愛媛県民謡同好会地区決勝大会」で準優勝。
唄ったのは「秋田長持唄」。その後私の十八番となりました。

中学2年生の時、民謡助教師免許と三味線藤本会名取りを取得。


大阪サンケイホールで「サンケイ民謡大賞」に出場。大会場で足がすくむし、胸はドキドキ…。でもお囃子を聞くと、不思議と落着くことができました。その年、「愛媛県民謡同好会総本部決勝大会」少年少女の部で優勝。うれしかった!

高校生のとき

今治市の港祭りカラオケ大会で準優勝。応援に来てくれた友だちと。(カラオケ大会荒し?)

地元のカラオケ大会で入賞。
曲目は「悲しみ本線日本海」(民謡じゃないね・・・)

その後上京して、浦安市を中心に活動を続けてきました。

その後上京して、浦安市を中心に活動を続けてきました。

平成10年度

「墨田・江戸川連合大会」協会賞争奪戦で優勝したときの写真。
数日前に風邪で声が出なくなり、ハラハラ…。

当日全快してよかった。

平成11年度

5月、第一回「民謡民舞東東京大会」青年部で優勝したときの写真です。
唄ったのは「祖谷の粉挽き唄」という曲です。節回しが難しくって苦労しました。
この年から、デビュー曲「今治おどり」を作曲してくださった作曲家 原 賢一先生の御指導を受け始めました。

夢の国技館!で行われた「日本民謡協会全国大会 内閣総理大臣賞争奪戦」出場。賞はもらえなかったけれど、くらくらしちゃうほど広くて、満員の国技館のステージに立てただけで、天にものぼる心地でした。

NHKサービスセンター発行の「新民謡ふるさと紀行」東日本編と西日本編の中で唄ってます。初めてのレコーディングはハラハラどきどきでした。